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2015年01月 アーカイブ

2015年01月05日

高等課程1年生「基礎看護実習Ⅲ」を終えて

高等課程1年生は平成26年12月8日(月)から19日(金)までの2週間、各実習病院で基礎看護実習Ⅲをさせていただきました。指導者のサポートや患者さんとの関わりを通して多くの学びがありました。現在、1月13日から始まる長期の実習(成人老年母子看護実習)に向け、学習を進めています。

疾患、心理面、日常生活リズムなどしっかりアセスメントし、自分に出来る最高の水準でケアをすることの大切さを学びました。患者さんは長期に臥床されておられリハビリ室には車椅子で行かれていました。どれくらいの時間車椅子にすわれるのか、握力・筋力・関節可動域はどうなのかなどの情報を得ることで自立に繋がる援助が出来る事がわかりました。また、患者さんの心理は一定ではなく、病気の再発や悪化への不安と恐怖、孤独や悲しみを抱えている事にも気付かされました。知識不足や技術の未熟さも自己の課題です。より良いケアを提供するために、今後も努力していきます。

(1年Aクラス:HK)

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実習中質問されても答える事ができなかった時、なぜそうするのか根拠が理解できていないと患者さんにも伝わらないことを教えて頂きました。受け持たせていただいた方の疾患について学習をしていくことで、はじめて疾患と失語症や嚥下障害など症状との関連がわかり、学習の大切さを実感しました。

(1年Aクラス:RT)

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実習では学習の大切さを知るとともに自分を見つめ直す機会になりました。日々状態が変わる患者さんを前にして、今どのような援助をすべきか、観察するためにはどのような知識が必要かなど考えさせられました。看護するためには手技だけでなく、そこに行きつくまでの知識が求められることが分かり、学習面の努力をしていきたいと思いました。

(1年Aクラス:JK)

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寒さを感じやすい方には保温に重点をおいたり、何でも自分でしたいと思っておられる方には援助前にどこまでが可能なのかを把握し、声のかけ方の工夫が必要でした。学校で学ぶ方法は基本の動作であり、実施する時は相手の状態に合わせどのようにしていくかを考えないといけません。また9月の実習では記録を書くことに意識がいっており、援助ができなかった時は「今日は何を書こう」と自分主体で考えていたように思います。しかし今回は、援助を断られた時、なぜそのように言うのか、何を訴えているのか考え、きちんと向き合うことが出来たように思います。

(1年Bクラス:YT)

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受け持たせて頂いた方は、発語が少なく笑顔もあまりない方でした。最初は「はい」「いいえ」という短い言葉だけだったのでコミュニケーションが難しいと思っていましたが、質問の仕方を変えると「頭は痛とうなか」「寒か」と長い言葉や自発的な発言が見られるようになりました。笑顔で顔を近づけると満面の笑みで「なんねー」と笑ってくれました。手浴や足浴をした際はリラックスされて寝られる時があったり、窓の外を見て「雪のすごかね。おそろしか」と言われる姿をみて、本当に嬉しく、日々の関わりの大切さを実感しました。

(1年Bクラス:YS)

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実習中、患者さんからはずっと援助を断られてばかりでした。しかし、入院前の生活を知ること、今はどういう状態か、どのような思いで入院生活を送っているのか、今後どうありたいと思っているのかなどを知ることの意味を考えさせられた学びの多い実習になりました。情報を通して患者の思いに気付き、向かっていく方向が見えてくることにも気づきました。

(1年Bクラス:NG)

2015年01月06日

専門課程1年生「生と死を考えるふれあい」演習

専門課程1年Bクラスは、平成26年12月16日(火)に多久東部中学校の9年生と共に特別教育活動の一環として、甘露山大弘寺住職、平川義雄先生と円光寺住職、五十嵐雄道先生よる「生と死を考える」演習を行いました。以下、学生の感想を紹介します。

「生と死のふれあい」
日ごろ、生活におわれて生きていること、死んでゆくことを深く考えることもなかったが、今回このような機会を与えていただき、貴重な体験をすることができました。看護職を選らんだ時点で、私たちは“生”と“死”について向き合っていかざるをえないということは理解しているが、なかなかできずに今に至ってしまっているのが現実でした。准看護師として働き出してからはまだ亡くなられる方と亡くなる直前まで関わるということはないが、介護職として働いていた頃や自分の祖父の死というものを経験し、今まで本当に身近な方の死というものが初めてであったため、家族として又、介護職としての死の悲しみや、何とも言いようのない心のザワザワした感じは、今でも鮮明に思い出されます。今回は自分自身が死を迎えるという体験であり、次々と失っていくことが増え、ぽっかりと心に穴が開いた様な感覚になりました。体験をする前に“大切なもの”“ほしいもの”を考える時は、希望的な感情で「あれもほしい、これもほしい、あの人も大切、順番なんてつけられないよ“と思っていました。少しの時間しか経ってないのに、記入したメモ紙が別のもののように見えてきました。と同時に祖父や患者さんは、この何とも言いようのない感情と闘いながら日々を過ごしていたのかと思うと、自分の行動で振り返るべき点があることに気付かされました。中学生を交えてのグループディスカッションでは、中学生一人ひとりがしっかりと考えを持っていて、それを自分の言葉で発言できることに、こちらが力をもらいました。自分ももっとしっかりしないといけないと思いました。ディスカッションを進めていく中で、最後まで残ったものは家族であり、消すのを悩み始めたのは友達やペットであり、いずれも自分にとって大切なものの中でも命あるものを消すことに悩みがあったように思えました。一方的に感情を抱く”もの“よりも相互的につながりがある”命あるもの“の方が自分の中で失いたくないと感じることは納得できました。日頃あまり真剣な話をすることのないクラスメイトの話、多感な時期を生きている中学生との話、とても勉強になりました。”死“とは何かを考えるからこそ、今をどのように生きていくべきかを考えるきっかけになると思いました。今から未来の夢に向かって必死に頑張る中学生、私たちも色々な道をそれぞれ歩いてきたけれど、看護師という夢に向かって日々努力しているため、重なるところもあり、貴重な時間となりました。そして、看護師として、死について考えることができたことも、これからの看護師人生の中でとても貴重な経験となりました。

(専門課程1年Bクラス E・O)

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死への疑似体験をするまでは、本当に疑似体験できるのか半信半疑でしたが、実際に行ってみて、楽しく過ごした休日のある日に身体の異変に気付くところから始まり、自分自身のこととして捉えることができたように思います。いつ私に起こってもおかしくないストーリーを五十嵐先生の言葉に誘導されながら体験していきました。最初はほんのわずかな不安が日を追うごとに大きくなり、早く不安から逃れたい気持ち、病気を告知され、訳も分からないまま始まる辛い治療、最初は面会に来てくれていた人達が来なくなり孤独を感じたり、治療の効果がなく、後は死を待つのみとなり今まで頑張ってきたことは何だったのだろうと茫然となる気持など様々な感情が湧きあがりました。そんな感情に揺れながら自分の大切にしているもの、欲しいものを削除していくことで、自分にとって何が大切なのか敏感に感じることができたように思います。欲しいものは戸惑いもなく消していけるのに、大切なものは最後まで×をつけることができませんでした。欲しいもの=持っていないものはなくても大丈夫なものばかりでした。しかし、大切なものは失いたくないものばかりです。今、私は健康で死を身近に感じていないから欲しいものが沢山あったのだと気付きました。また、大切なものは普段はあたり前のように自分の近くに在ると思っているけれど、いつ失ってもおかしくないものだということも分かりました。いま自分が家族や友人等に支えられ元気に過ごしているこの現実こそがとても大切なものだったのだと気付くことができました。いまの状況がありがたいことだということを忘れないようにしなければと思います。疑似体験後のグループワークでは「時間」という言葉が印象に残りました。私を含め、皆死を前にし、「もっと時間があれば…」と思ったといいます。今私の、無駄に過ごしている時間のなんと多いことか…反省の一言です。普段よく思う「もっと勉強しておけばよかった」「なんで何もせず1日を過ごしてしまったんだろう…」をなくせるよう、貴重な時間だということを意識して過ごしていきたいと思います。

(専門課程1年Bクラス M・K)

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「死への疑似体験」を行ってみて、自分にとっての大切なもの、これからの夢に向かっての気持ちがはっきり分かった気がしました。健康な状態で、大切なもの、欲しいものは、大切なものはすぐ浮かびましたが、欲しいものがなかなか出ませんでした。「死への疑似体験」が始まり、一つずつ消していくと大切なものは何一つ消えず、欲しいものが全てなくなりました。健康だから欲しいと願うのだと感じました。普段の生活で、いかに欲しいものを手に入れることがあたりまえになっているか、とてもよく分かりました。最後に消えたのが「お母さん」でした。自分にとっての母の存在の大きさ、失うことの恐怖が分かりました。母を残して死んでいくことが一番辛いと感じました。グループで話をすると、看護学生は「母」を残す方が多かったです。ですが、自分が母の立場だと、「こども」と言われていました。グループ皆の話を聞くと、自分が大切というより守りたいものという感じでした。体験を通して、今の生活を1日1日大切にしようと思いました。そして、周りの人への感謝の気持ち、思いやりを持った関わりがしたいと強く感じました。将来の夢では、看護学生は皆看護師でした。中学生は、サッカー選手、事務、料理人と様々で、はっきり決まっていないと言われていました。自分が中学生の時を考えると、特に夢などなく、皆が高校に行くから自分も行くという程度で何も考えていなかったなと思います。話し合いでも出たように、「何歳になっても夢は出来るし、夢をかなえるのに遅いとかない」まさにその通りだと思います。夢ができるとその為に色々頑張れると思います。色々な年代の人が集まる学校で、色々な職歴、経験があり、そのことは周りにも良い影響があると思います。そして一つの夢に向かって共に頑張る仲間であり、切磋琢磨していきたいです。周りへの感謝の思い、自分への影響、過去を振り返る良い経験になったと思います。

(専門課程1年Bクラス Y・S)

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