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25年度「防災講話」

高等課程・専門課程の学生が10月1日(火)(Bクラス)、2日(水)(Aクラス)にそれぞれ防災講話を受講しました。本年度は最近増えつつある自然災害を考慮し、佐賀市消防防災課より傍示康久(かたみ やすひさ)氏を講師に招き「防災に対する心構え」 - 看護職の皆さんに望むこと - と題して講話を賜りました。学生・生徒達は佐賀市の地域特性や災害特性など身近な場所の話や、最近は防災から減災へと考え方が変わっている事など最新の情報を真剣にメモを取り熱心に聞き入っていました。最後に看護職の皆さんへの言葉として、「皆さんには二つのステージが求められます。医療の知識を持っている者として1.災害時、勤務地における医療従事者としの働き2.地域における共助の一員としの役割(日頃からの近所付き合いや避難所での対応)を期待しています。これからも常日頃や特に災害時には看護職として力を発揮して下さい。」とエールを送られ講話を終わられた。



防災講話を受けて - 学びと感想 -

今日の講話を聞くまで佐賀での震災被害、津波の影響など深く考えたことがありませんでした。1792年に雲仙普賢岳の噴火及びその後の眉山の山体崩壊をそれに起因する津波被害にて島原対岸の肥後国に大きな被害を与えたことも知りませんでした。一番記憶に新しい震災被害は、東日本大震災での津波の被害ですが、自然はすごく素敵だけど、時には狂暴化し、恐ろしい物へと変わっていくこともあるのだと思いました。人の心を癒してくれるが、人の心までも奪っていく。多くの方が命を奪われ、多くの方が悲しみに包まれた。テレビを見て、「本当に大変そう、かわいそう」と思うだけで何の活動をできる訳ではなく申し訳ない気持ちでいっぱいでした。私達は何一つ不自由なく生活し、不便になった事がないので、先生のお話の中で医療の話(ナース服を切って陰洗をしたり)や、一人に対して一日当たりの食事の量が本当に少ない事など、改めて実態を考えさせられました。防災から減災へ。「防災」とは被害を出さない取り組みで、「減災」とは、あらかじめ被害の発生を想定した上でその被害を低減させていこうとするものだと納得させられました。①防災の基本知識を広める②危険情報を広く報せる③避難できる環境を作り上げるということを学び、そして災害がもし起こった時には一人の人間として、又、一人の看護師として役に立てられる様、今回の講話を胸に活動、実施していきたいと思います。

(専門課程1年Aクラス 三好麻衣)


これまでの避難訓練とは異なり、今回は講堂での講話だった。最初に自分達の住んでいる土地、暮らしている町の特性についてお話をして頂き、低い土地である事が分かった。それから佐賀市の災害の特性について話を聞いていると、有明海も津波が起こるということを初めて知った。また山の方では土砂災害、市街地エリアでは低地が多く、自然排水が困難なため、筑後川や嘉瀬川による水害の危険性、臨海エリアでは干満の差が激しい有明海に面しており、台風襲来時には高潮の被害を受けやすいという事が分かった。私の住んでいる所は筑後川のすぐ側で、職場も筑後川、有明海の近くなので、興味を持って講義を聞くことが出来た。堤防がどれだけ大きな役割を果たしていて、地震などで堤防が機能しない時、どれだけ危険なのか、よく分かった。しかし、津波が発生するまで、また水位が上がるまで時間がある事も分かったので、その何か起こるまでの時間に、共助、公助として色々考えて行動したいと思った。 私が生まれてから、阪神淡路大震災、東日本大震災と大きな地震災害があり、被害の大きさ、混乱の大きさ、避難所の様子、医療機関の対応についてもほんの一部だとは思いますが、話を聞き改めて自然災害の恐ろしさを感じた。自分は避難所の生活をした事はないが、食料もなく、プライバシーもなく、水も電気も何もない生活は、体験した事がある方しか分からないような苦しみがあるのだろうと思った。このような災害が起きても、看護師として活動する話を聞いて、自分には正しい判断ができるか、ある物だけでたくさんの被災者の受け入れをするためにアイデアが浮かぶか、体力はあるか、そしてそれだけの事を自分の家族の安否も分からないまま看護師としての強い責任感が持てるかとても考えさせられた。今日の講義で、災害時の看護についてとても興味が持てた。そしてこんな混乱を招く災害時でさえも、被災者のメンタル面に配慮する医者や看護師の心の優しさを感じた。

(専門課程1年Aクラス  岡 真奈美)


今回、防災講話を受けて、「減災」という言葉を初めて聞きました。「防災」とは被害を出さない取り組みであるが、「減災」とはあらかじめ被害の発生を想定した上で、その被害を低減させていこうとするものであり、普段から、災害に対して備えておくことが大切だと思いました。特に佐賀市は低地が多い為、風水害が多く、また有明海に面していることから高潮の被害を受けやすいという事実を知り、今まではあまりに防災ついて考えたことはなかったが、改めて身近なものとして減災に努めることが必要になってくると感じました。 また、災害時には、「自助」「共助」「公助」という言葉が重要になっており、私達看護職には、隣近所や地域で守ろうという共助や公助が大切になってくると実感しました。避難所には、子どもから高齢者、妊婦など様々な人達がいらっしゃり、日頃から地域の人との交流や仲を深めておくことや、医療の知識を持った上で、災害医療として的確な判断や対応が求められます。今までは災害医療やトリアージといった言葉はあまり聞いたことがなかったが、東日本大震災を機に、よく聞くようになったと思います。それだけ周りの災害に対する関心も高まってきているのだと感じます。 今まで、私は救助隊に助けられる人が多いと思っていましたが、実際は約90%の人が自助、共助での救出だということを知り、近隣や地域住民との繋がりの大切さと、自分の身は自分で守るという自助の推進の為に、非常時出品を日頃から準備しておくことが減災への第一歩だと思いました、自宅に帰ってから、何が必要か考えてみましたが、ラジオや懐中電灯、食料品、水などの他に、毛布や工具など意外に準備するものや荷物も多く、非常時にすぐ持ち出せるよう“準備しておくこと”の必要性を改めて実感させられました。 看護職として防災・減災への意識を高めることができた講話で、話を聞くことができ良かったです。

(専門課程3年Bクラス 池上麻梨子)


防災に対する心構えは、この防災講話を聞くまでは出来ていませんでした。佐賀市の地域特性として、堤防の高さが7.5mであり、そのおかげで平野を守っている事を知りました。佐賀市の災害特性は、市街地エリアによる低地が多く、自然排水が困難な地勢である事を知りました。そのため、筑後川や嘉瀬川による水害の危険性が高い事を知りました。数年前に、道路の冠水があったので、佐賀市でもこのような水害がある事が分かりました。雨量60mlまでは大丈夫だが、60ml以上であると道路があふれ、商業地域の道路が水であふれる事を知りました。また、風の害、竜巻の被害がありました。臨海エリアでは、高潮の被害が考えられる事がわかりました。 私は、阪神淡路大震災では、職場同僚や上司が被害にあい、軽度ではあったのですが、とても心配した事を覚えています。そして、日本でもこのような地震が起こる事があると初めて認識しました。倒壊したビルの姿は衝撃でした。東日本大震災では、津波の恐ろしさを知りました。私自身福岡市の御笠川の氾濫の時は職場が被害にあいました。知り合いの方が亡くなられたので、とてもショックを受けた事を覚えています。このように、どこでも自然による災害があるので、常に意識しておく事が必要であり、自分の身を守る事でもあり、他者に身を守るためにも、何が必要であるのか考える必要があると改めて実感しました。看護師として、災害時ではトリアージ後の受け入れる場所や透析患者のケア、負傷者等のケアが必要であり、入院してある患者の安否、患者を安心させる事、家族や親族の安否を確認する事が大事だという事が分かりました。また、カルテなどがない場合は、患者に聞くしかなく、どのように継続した看護が出来るのか、考える事が大事だとわかりました。 減災を進めるために、防災の基本知識を広め、危険情報を広く報せ、避難できる環境を作り上げる事が大事であり、自助・共助・公助を考え、行動していきたいと思いました。佐賀市防災総合メールに登録したいと思います。

(専門課程3年Bクラス 飯盛由美)


今まで津波という言葉はメディアを通して何度も聞いてきたが、自分自身が実際に体験したことはなく、自分が被害にあったらと考えた事もなかった。佐賀に津波がきた場合や、堤防が機能しない場合、ほとんどの土地が浸水する事や、佐賀市の北部では地震により土砂災害が起こりやすい事を知り、防災の重要性を改めて実感しました。自分が幼い頃に阪神淡路大震災が起こり、震災後の現場は建物が倒れ、多くの人が泣き叫ぶのが今でも頭に残っています。東日本大震災でも、多くの人が亡くなり、悲しみにあふれ、これから生きていく中で同じ悲しみを繰り返さないようにしていく事が大切だと感じました。また、看護師として災害が起きた時に判断力や技術・知恵が重要であり、冷静に考えて行動がとれるように防災についても学習していく必要があると感じました。津波を通して、残された家族は身内を亡くして身体的・精神的に傷を負って、今後もそれを背負って生きていかなければいけないことを考えると、自分だったら耐えられないと思います。そういう遺族の気持ちを配慮し、社会復帰できるよう、支援していく事も、自分達看護師の大切な役割だと感じました。 今日の講話を聞いて、災害が佐賀で起きた場合の影響や地域ごとでの水害の程度も違う事を知り、自分が生活を送る地域の特徴も理解する良いきっかけとなり、勉強になりました。

(専門課程3年Bクラス 田村 亮)


防災講話を受けて、佐賀で起こりうる災害の種類が地域で異なることを初めて知りました。今までは災害と聞いても他人事のように考えていた自分がいました。ですが、東日本大震災や、近年の異常気象によるゲリラ豪雨等により、災害時の対策を個人レベルで意識し、食料の備蓄や災害時の避難場所の確認をする必要があると感じました。それに加え、自分の家族とも話をし、防災の意識を高めていきたいと思っています。今回の防災講話で、平野部では60mm/h以上になると、町に水があふれてくると話されていました。今まで気象情報の中で1時間の雨量が何mm/hとニュースで言っているのを聞いてもいまいちピンとこずに、なんとなく聞いていて、イメージ出来ていなかったです。ですが、今後は雨量60mm/hを基準にし、気象情報を見ていくといいのだと思いました。このことから、情報があっても、それをどのように捉え解釈すればいいか分からないと、正しい判断が出来ない。災害時又はそれに備えるためには情報収集も必要ですが、その情報を受けてどう判断するか、判断するために必要な情報を持っておくことが大切だと思いました。また今回の講話で、どの程度の備えをしておくと大丈夫なのだろうかと思いました。講話でも非常備蓄品の内容を挙げてありましたが、それだけなのかと不安になってしまいました。実際にはまだ被災したことがなく、想像出来ないから余計に不安になってしまうのではないかと思います。それでも自分の家族が被災しても生きていけるような備えを家族と話し合い行っていこうと思いました。講話の中で避難場所での実際を話されていて、被災し、物資が少ない中で様々な工夫をしながら生活されていたと聞き、今私達の生活は便利になりすぎていますが、日々の生活の中で節約したり何か工夫し生活することも、万が一被災した際に生活者としての知恵を活かせたらいいなと思いました。また、私たち看護職者として、被災した時に看護を提供できるように、本校で学んだ事や、現場で働き経験を積んで皆さんの役に立てるようになりたいと思いました。最近、私の子どもの学校から“さがんメール”システム登録の案内がきていました。この“さがんメール”は減災を進めるためのものなんだと分かりました。“さがんメール”へ登録し、危険情報が直接自分の携帯電話へメールで届くと思うと、とてもありがたいなと思っています。これらのシステムを活用し、自分の身は自分で守れるような行動をとっていけるように努めようと思いました。今回の講話で改めて防災について考えるいい機会になりました。ありがとうございました。

(専門課程2年Aクラス 岡田直子)


今回の防災講話を聞き、すごく貴重な話をたくさん聞くことができました。今までは防災訓練で話を聞くことはほとんどありませんでした。しかし佐賀の地形や、地震が来たら一番危険な場所や雨が降ったら一番浸水する場所などが分かり、とても勉強になりました。 私は今まで佐賀は地震もなく一番安全な場所だと思っていました。しかし、30年以内に地震を起こす可能性のある断層が2つあると聞いてとても驚きました。何年か前に来た地震でも私の家はすごく揺れてとても恐かったです。それがまた来る可能性があると、本当に恐ろしいなと思いました。今回の東北の地震みたいな多くの被害者が出ると考えると、悲しくなりました。そして改めて天災の恐ろしさを実感しました。 東北の地震の時のように最終的には人と人がお互いに助け合って励まし合い生きていくことの大切さをとても感じました。親と離れ離れになってしまった子どもたちもたくさんいると思います。そのような子どもたちでも周りの人に支えられ一生懸命生きていることを考えると、毎日何不自由なく生活できている私は、すごく恵まれているなと思いました。もっと毎日を当たり前だと思わず、一日いちにちを大切に生きていこうと思います。今、毎日ご飯が食べられてお風呂に入ることができ、学校に行けて仕事ができるということは当たり前ではないんだなと思いました。そして家に帰ると家族が「おかえり」と言ってくれることも、学校に行けば笑って話せる友達がいることも決して当たり前ではありません。いつこんな当たり前の生活ができなくなるかも分からないし、いつまで続くかも分からないので、本当に大切に生きていきたいと思いました。そしてせっかく看護師という仕事を選んだため、少しでも人の役に立ちたいと思います。もし地震などで多くの人が怪我をしたり病気にかかったら、今の私にできることをしていきたいと思っています。何かをするだけでなく多くの人を励ませるような声掛けをしていきたいと思います。今回防災講話を聞いて、当たり前になていたこと、これからの自分の過ごし方につてを考え直すことができよかったです。

(専門課程2年Aクラス 宗田 萌)


私は、今まで「災害」はどこか他人事のように思っていましたが、今回の講話の中で佐賀平野で実際に起きた災害や今後の災害の想定を聞き、佐賀も災害に遭う可能性が十分にあることを実感しました。また「東日本大震災」での現実を聞き、水や食料が簡単に手に入る日常を当然のように感じていた自分に反省し、危機感を持たなければならないと痛感しました。そして佐賀平野の地理を災害マップを知っておくことは、事前の対策や災害時の動きのためにも大切なことだと思いました。また佐賀は「阪神淡路大震災」の状況と同じに考えなければならず、建物の下敷きになる等、死者よりも負傷者が多いことが分かりました。同時に看護師として技術を求められるだろうと感じました。 東日本大震災では、物資も人も不足している中、看護師一人ひとりが考え、工夫し、行動してあり、看護師の方の強さとパワーを感じました。私も緊急時には自分で考え、行動できるように、知識と技術を磨き、責任感のある看護師になりたいと思いました。また、患者さんの身内に安否を知らせることが患者さんの安心につながることや、食事は少量でも3回提供することで安心させるなど、“安心”を提供することがとても重要であることが分かりました。避難所では「子どもが泣くと冷たい目で見られるので暗い隅にいる母親」の話を聞き、相手を思いやることもできない程、切羽詰まった状況と子どものいる母親の苦労を痛感しました。被災者の方が生きていくために必死で頑張られていることや生活の中で様々な問題が生じてくることが分かりました。災害から数年たった今でも解決していない問題はたくさんあります。災害は失うことだけでなく、生きている人もずっと苦しめている怖いものだと実感しました。 この大震災後の防災施策の考え方として“防災“から”減災“へ変わってきていることを知り、”減災“という言葉も初めて知りました。減際に必要な物として、「知識」「情報」「環境」があり、一人ひとりが努力していかなければならないものだと思いました。また「自助」「共助」が救助・救護活動では最も効果があり力になることが分かり、地域の人とのつながりが大切であることが分かりました。 今回、大震災でのトリアージタッグの重要性を実感しました。トリアージすることで、より迅速に患者さんを助けることができると思いました。そのためにも適確な判断と対応ができるようにならなければならないので、日々の努力の必要性を感じました。 今回の講話では、震災時の看護の技術や方法、流れ、現状や精神面でのことなど具体的に教えて頂き貴重な学びとなりました。

(専門課程2年Bクラス 金子真由美)


今日の防災講話を受けて、今ずっと住んでいる佐賀の特性を知り、どんな災害を受ける可能性があるのかを知ることができた。佐賀市内でも、エリアによって起こりうる災害は違っており、とても狭いと思っていた地域でも周りを見渡せば、山もあり海もあり自然にあふれているけれど、それだけ災害にあうリスクは潜んでいるんだと思った。佐賀では、雨量が60mmを超えたときどこかで道路が浸水する。一番最初に浸水するのは学校付近であるということを知り、去年の大雨の時期に、学校前の道路が浸水していたこともあり、早めの対処が必要であると感じた。 東日本大震災があり、佐賀で津波にあうことはないだろうか…。もし、津波が起きてしまったらどうなるのだろう…と不安になることがあるけど、佐賀は災害が少ない地域であり、津波が起こる可能性はほとんどないということを知り、安心した。他の地域と比べると災害は少ないかもしれないけど、今までに佐賀では、大雨・土砂災害・地震はあってる。初めて避難勧告、避難指示の発令がでたとき、避難率0.7%という低さであり、災害に対する適応力があまりないという事実を知ることができた。災害にあう可能性は低いかもしれないけど、いざというときのために、自分が住んでいる区域がどこに当てはまるのかを理解しておくべきだと感じた。全国では過去に多くの地震災害が起こっており、世界的にみても規模の大きいものが平成7年1月17日に起きた阪神淡路大震災と平成23年3月11日に起きた東日本大震災がある。この2つの震災を比較すると、死因が水死93%で死者15,889人と東日本大震災では多くの方が水死されている。一方、阪神淡路大震災では、圧死90%で死者は6,434人と東日本大震災と比較すると少ない。負傷者は東日本大震災では6,142人、阪神淡路大震災では43,792人という違いがあることを知った。佐賀では、地震が起こりうるリスクがあることを含め、看護師として考えると、負傷者が多かった阪神淡路大震災をベースに考えることが大切だということを学んだ。私は被災地へ行ったことはないけれど、今までニュースなどTVで見たり、被災地へ行った人の話を聞いたこともあり、又今日の話を聞き、実際の写真を見て、本当に貧しくご飯も少ししか食べられなかったり、被災地の中でも格差があり、安心して休める場所でなかったりと大変だったと思う。そんな中で、看護者として出来ることは多くある。でも、自分も不安が多くあるなか、病んでいる人々のためにあらゆる知識を使い活動できることは素晴らしいことだと感じた。なにより、今後、減災を進めることができればいいと思う。今日の講話のおかげで、防災の基礎知識について少しは学べたと思う。多くの人が減災に興味を持ってほしいとも思った。

(専門課程2年Bクラス 中島菜摘)

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